謹告
今年5月度のともしび掲示板『弔辞「かならず」と誓い「いずれまた」いかりや長介』におきまして、担当僧侶が、高科修様のブログに掲載されておりました法話の全文を許可なしに引用してしまいました。
日ごろ、「ともしび掲示板」を楽しみにしてくださっている皆、ならびに高科様および、高科様のブログを楽しみにしていらっしゃる皆様へ多大なご迷惑をおかけしたことを謹んで心よりお詫び申し上げます。
證大寺昭和浄苑では、「生涯聞法」の理念に向かい、僧侶、職員が一丸となって邁進している中で、このような誤りを起こしたことについて、改めて、皆で問い合い、初心に戻り、これまでにも増して僧侶の全力を尽くした法話を皆様にお届けすることで、信頼の回復に努める所存でございます。
今後とも證大寺昭和浄苑に対しまして、尚一層のご指導を賜りますよう、伏してお願い申し上げます。
高科修様へは直接に謝罪をさせて頂く機会を賜り、温かい励ましのお言葉を頂戴いたしました。ここに改めて、高科修様の法話全文を掲載し、またブログのアドレスを記させていただきます。
子どものころ、テレビの中で活躍していた人たちの訃報(フホウ)を最近よく聞くようになった。折りしも、この原稿を書いている時にドリフターズの元メンバーである荒井注(チュウ)さんの訃報を聞いた。
『なんだバカヤロー』というギャグで一世を風靡(フウビ)したその人である。後にも先にも相方やメンバー以外の人を、まして画面のこちら側の人を罵倒(バトウ)して人気が出た芸人は、彼ぐらいではないだろうか。
例にもれず、ワイドショーはその告別式の一部始終を私たちに知らせてくれます。その中で、ドリフターズのリーダーいかりや長介さんの弔辞(チョウジ)は秀逸(シュウイツ)であった。
荒井注さんの遺影の前で注さんと共に過ごした人生を振り返りながら、注さんの人となりを一通り語り終えたそのあとで、いかりやさんはこう述べた。
『行くなとはいわない、だから気をつけて行け。ついたら場所を取っておいてくれ。オレも行かねばならないから。かならず』
そして一時の沈黙のあと、たった一言…
『いずれまた……』
そう締めくくった。
亡き人の冥福を祈る弔辞は数多くある。僧侶という立場上、そういう弔辞はよく耳にする。そのどれもが、私は生きている、あなたは死んでいるという、生と死を分けた処(ところ)に立っているものである。生きている私が、死んでゆくあなたを送るのだという。
いかりやさんの弔辞は、あきらかにそれらとは一線を画していた。生と死を分けるのではなく、生と死を一つのものとした弔辞であった。
そこにあるのは人間の無常さを感じとり、自分もまた死んでゆかねばならない身であるという事実をしっかりと受けとめている姿であった。死してなお、大切な友人と会いたい。いや、会わねばならないという堅い決意がそこにある。それは、生前のふたりの関係がどういうものであったのか、人間同士として、どういうつながりであったのかを、おのずと知らせてくれる。
縁ある人の通夜や葬儀に弔問(お参り)するとき、私たちは、実は亡き人からこの事を問われてあるのでる。
『あなたは、自分が死ぬときに、必ず会い行かねばならないという人をお持ちですか?』
『自分が先に亡くなっているのなら、死んでなおかつ私に会いたいと思ってくれる人をお持ちですか?』
と……
そう云う人間関係を持つ人生を送ってくださいと、そう願われているのです。
私たちは、かならず行かねばならない場所を、ちゃんと見据えて生きているでしょうか。そして、その場所で切にまた会いたいと思えるほどの愛情や友情で結ばれた人間関係を持っているでしょうか。
『かならず』と誓い、
『いずれまた』と締めくくれる。
(高科 修師 ホームページ「お坊さんの小話(法話)〜浄土真宗〜 其の四」【倶会一処(くえいっしょ)】より
ホームページのアドレスは http://www.0408.jp/howa004.htm
)
平成24年6月15日
宗教法人證大寺